当ブログが紹介されました、宗教なんてメガネです、の二本立て
結構前で今更な話なんですが、このブログの記事が紹介されていました。それも荒川区区議会議員さんのブログに。いや〜、名誉なな事じゃ無いですか。世の中の為になる記事が書けるって事は嬉しいことですよね。
で、早速見に行ってみました。
注意!西日暮里にカルト教団(統一教会)拠点(荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感)
この話のどこにシステム系の話が出てくるんだろう。
…事例1、あぁ、なるほど。うんこの話か。
被害事例として、ふざけて書いた文章が取り上げられてました。ちなみに掲載されている写真、確かにそこでした。宗教だったんですね。
「手相 勧誘 西日暮里」で検索すると上位に来るのも知りませんでした。
ちなみにこのブログを書かれている小坂英二という方、情報公開、男女差別、新興宗教問題など、様々な問題に精力的に活動されてるようです。荒川区民ではないんですけど、応援したくなりました。
さて、せっかくの機会なので宗教の事についてでも書いてみます。
まず、私自身は特定の宗教を信仰してないです。無宗教ってのも宗教かもしれないですけどね。お天道様が見てるから悪いことはしたら駄目だ、くらいの事は思ったりもします。
それはともかく、いろいろ宗教の話を聞いたり、西日暮里に連れて行かれたりして思うんです、宗教なんてメガネだ!と。
わけわかんない事言ってますね。でも、メガネっぽい。
宗教ってだいたい、これだけは絶対だ、っていう教えがありますよね。普段生活している上で絶対ってほとんど無い。で、絶対ってものがほとんどない中に、これは絶対だ、という教えが入ってくるわけです。
その絶対なものを通して世の中や事象を見ると、世の中が違って見えるようになると思うんですよ。ゆがんで見えるようになるのか、それとも色がついて見えるのかは判らないですが。
メガネっぽいでしょ?
で、絶対な教えってものを通して世の中を見るのに慣れてしまうと、教えを通さずに世の中を見るのが不安になるんじゃないかな、と思うわけです。メガネだって慣れてしまうと、外して生活するのが不安なんですよ。
それがたとえゆがんで見える物だったとしても、慣れてしまうとそれなしでは生活できない。
でも、宗教の教えであっても、メガネのレンズであっても人によって合う、合わないがあると思うんですよ。もちろん、合わないものを無理矢理使う事はできるけど、使っているうちに本人がそれに合うように変わっていってしまう。で、それなしでは生活できなくなる。
合わないメガネ使ってると、視力も落ちたりするんだよね。
とまぁ、メガネだ、って思う理由を書いてみましたが、人に宗教に無理矢理勧誘するのって
「俺のメガネよく見えるんだぜ。あんたも同じのを絶対つかうべきだ!」
って事じゃ無いの?て事が言いたかったわけです。そりゃむちゃだって。合う合わないがあるもの。
「みえないよ〜。頭くらくらするよ〜。」
「しばらく我慢したら世の中がきれいに見えるようになるから、外しちゃだめだ!俺もそうだったし!」
ヒドイ。
とはいえ、人がどの宗教を信仰してってのは尊重すべきだと思うのです。葬式なんかも、なるべく本人が信仰してた宗教であげてあげるべき、とも思っていますし。
ともかく、宗教はメガネです。必要な人もいるし、不要な人もいます。もちろん、合う、合わないも有りますし、強制するようなもんじゃないと思うのです。もちろん、無宗教も、ね。